奈良町  その18

 元興寺(極楽坊)のご本尊「智光曼陀羅」

 「行基瓦」を葺いた国宝の「本堂」は、鎌倉時代に建立され、間口6間、奥行6間、本来は禅堂と一続きであった僧房の1部を曼陀羅堂として独立させたもので、改造のあかしとして、写真の様に堂の中心に柱が在ります。なお、本尊は板に描かれた重文の「智光曼陀羅」で、写真の様な浄土変相図です。その他、寺宝とし、平安時代の阿弥陀如来座像、鎌倉時代の「聖徳太子立像(孝養像)」、「弘法大師座像」等いずれも国重文が有り、また、過って「元興寺塔阯」の17個の礎石が残る基壇の上に総高73mで建っていた「五重塔」の模型は、奈良時代作高さ約5mの国宝「五重小
塔」で、本堂の南隣に建つ「収蔵庫」で見られます。
 賽(さい)ノ神を祀る「道祖神社」

 「元興寺」東門の前から北へ向って、大通りを渡り更に北へ行くと「猿沢池」の東畔ですが、途中「奈良町センター(散策図の見学ポイント13)」の角を左へ折れて西へ向うと、次の四つ角に「道祖神」が鎮座しています。祭神は、道案内の猿田彦(さるたひこ)命と、妻の天宇受売(あめノうずめ)命で、その昔、「御霊神社」に祀られている御霊さんとサイコロ賭博をしたら、道祖神さんがすってんてんに負けて、博打の形に彼の氏子をみんな御霊さんに取られてしまい、その上身ぐるみ剥がされ、最後に残ったのは破れた蚊帳(かや)1帳だけでした。それなのにご利益が有るとか云い、勝負師が境内の石を削って持ち帰ります。
 正月5日に賑わう「恵比須神社」

 「道祖神社」から「上街道(上ツ道)」を北へ行くと、「猿沢池」の西畔に出ますが、途中で左へ折れて路地を西へ入ると、「今御門町」から「南市町」で、1532年(天文元年)の一向一揆の後、興福寺の六方衆(ろっぽうしゅう、僧兵)が猿沢池の南に月1度市を開設したけど、江戸時代に店を構えて商売をする民家が増えて、市がすたれ、今は町名にその名を残すのみで、町内の中央に春日大社末社「恵比須神社」が鎮座しています。大正時代初期には、この辺りに芸妓の置屋が立ち並び、色町として賑わっていましたが、最近はスナックや飲食店が軒を並べ、毎年正月5日の初戎には狭い路地が黒山の人だかりで、埋まります。
 「餅飯殿弁財天社」と「理源大師堂」

 「恵比須神社」から更に西へ抜けると、商店街の西側が「餅飯殿(もちいどの)町」で、通りの奥まった所に「餅飯殿弁財天社」と「理源大師堂」が祀られています。895年(寛平7年)第59代宇多天皇の勅命で、聖宝(しょうぼう、理源大師)が、大峯山を再開された際、吉野の山中で聖宝さんと共に大蛇を退治した箱屋勘兵衛さんがこの辺り蕗畠(ふきはた)郷に住んでいて、吉野郡黒滝村「鳳閣寺」の聖宝さんに会いに行く時、いつも聖宝さんが好物の餅飯を持参しました。そこで聖宝さんは、勘兵衛さんの事を何時しか「餅飯殿」と云う様になって、奈良町の勘兵衛さんが住んでた所を「餅飯殿町」と呼ぶようになりました。
 春日大社「大宿所(おおしゅくしょ)」

 「餅飯殿弁財天社」からまた「餅飯殿通り」商店街に出て、南へ向かうと直ぐ右(西)側の奥まった所に「大宿所」があります。毎年12月17日大和の祭り納め、春日大社若宮の「おん祭(国無民)」が行われますが、それに先立って、12月15日「大宿所」に「おん祭」で着用する衣装や器具と共にお供えの雉や兎、魚などの懸鳥(かけどり)が飾られ、「おん祭」の願主役(がんしゅやく)を勤める「大和士(やまとざむらい)」が、14:00過ぎ大和国内の所々より参集して、献菓子(けんがし)を献進し、また、当日午後三度、ここで「御湯立(みゆだち)式」があり、そして、17:00〜「大宿所祭」が執行されます。

 「上街道(上ツ道)」出入口に建つ石灯籠

 「道祖神社」から「上街道(上ツ道)」を北へ真っ直ぐ進むと、「猿沢池」の西畔に出ますが、そこには道の両脇に写真の様な大きな石灯籠が建っています。かっては大和盆地を南北に走る「上街道」の出発点で京都の公家達が長谷寺詣に、または、奈良町の人々が伊勢参りをする伊勢講として旅立って行った所です。なお、写真手前の橋の下は率川(いさがわ)で、その水源を東の春日原生林と御蓋山(みかさやま)に持ち 「鷺池」「荒池」を流れ下って来ています。また、橋下の川の中には石で造られた舟形の島が在り、小さな石仏が十数基安置されていますが、率川が改修された際に掘り出されたものではないかと云われています。
 猿沢池の南側を流れる「率川」

 「率川(いさがわ)」の舟形の島の中に石仏の他にちゃんと率川と彫られた石碑も建っていますが、川とは名ばかりで、至って小さな小川です。しかも橋の下を流れて、その直ぐ先へ行くと、今では率川は暗渠になって奈良町の市街地で土管の中を流れ、姿を見る事が出来ません。それでも、この「率川」は、その昔に万葉集に詠われ、歌碑は「率川神社」の境内にあり、

 羽根かずら 今する妹(いも)を うら若み
 いざ率川の 音の清(さや)けさ 巻7−1112

 この小川 霧ぞ結べるたぎちたる 走井の上に
 言挙(ことあ)げせねども     巻7−1113

鳥の羽根や菖蒲(あやめ)で作った「羽根かずら」の髪飾りをした乙女が、率川の畔(ほとり)に佇(たたず)み、「いざ」と誘いたくなる様な雰囲気で、それにしても率川の水音の何と爽(さわ)やかなことよ。




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